VERNIERバーニア
Treasure Ⅲ メフィストの罠

Part Ⅰ


 漆黒の宇宙の中で、一際異彩を放ちながらゆったりと航行する船、その名は『キッシングラバー』号。派手なその外装も、宇宙の静けさに比べれば深い海の底に沈む神秘の生き物の一瞬の煌めきにしか見えなかった。

 そして、船内のダイニングでは宇宙の静寂とは無縁な騒ぎが展開していた。
「おーい、胸の姉ちゃん、ケチャップ取ってくれよ」
むっちりとしたウインナーを口いっぱいに頬張りながらロリが言った。
「おい、それまだ材料の段階だろ? 食っちまったら料理が完成しなくなるじゃないか」
ダナが不機嫌そうに睨む。
「何言ってんだよ? おれんとこじゃ、これ一本だってかなりのごちそうだぜ」
ロリは構わずぱくついている。

「でも、何だかそれってお下品じゃありません? まるでバーニアさんのあれみたいですわ」
リサの言葉に皆が吹き出す。が、サラだけはそれをじっと見つめ、真面目そうな顔で呟く。
「いや、これは……長さと直径において、どう見てもウインナーの方が上だろう」
「確かに、あいつチビだからな。せいぜいこんなもんだろう」
と、ダナが一回り小さいしわしわのサラミを摘んで言う。
「げっ。何か食欲なくなった」
そう言うと、ロリが食べ掛けのウインナーをテーブルに投げ出す。
「汚ねーな。責任持って最後まで食えよ」
ダナが露骨に嫌な顔をする。

「だーってさ、あんたらが変なたとえをするからじゃん」
ロリが文句を言う。
「リサは何も言ってませんわよ」
「何を言うか。おまえが発端だろうが……」
ダナに言われても彼女は笑っているだけだ。
「それにしてもどうすんだよ? 材料足りなくなっちまったんだろ?」
ロリの言葉にサラが真面目くさってモニターを見る。
「そうだな。それに野菜ももっと必要だ」

「そうそう。強い子よい子元気いっぱいなおれさまにはもっと食いものが必要だぜ」
「そうよ。できれば前菜やスープやデザートなんかも付けていただきたいですわ」
珍しくロリの意見に同意したリサもにっこりと微笑む。
「わかった。私が食料倉庫から取って来よう」
サラが言った。
「やった! さすがは姉ちゃん! だてに胸がでかいだけじゃないんだねえ」
ロリがおだてる。

「いいのか?」
ダナが年少組みの二人を見て訊く。
「ああ。この二人をやるより私が直接出向いた方がよほど効率がいいからな」
「確かにな」
ダナも同意する。
「それに……」
と、サラが付けくわえる。
「何だ?」
「このシステムは不完全だ。バイオルームや貯蔵庫から供給されるルートが閉鎖されたままなんだ。電気系統に異常がないかも確認して来る」
そう言うとサラが部屋を出て行った。

 システムに異常は見当たらなかった。貯蔵庫からは常に必要な食糧が調理場へ供給、転送される仕組みになっている。
「ならばバイオルームか?」
サラは人工畑へと向かった。外洋宇宙船では大抵、環境バイオシステムが搭載されている。そこで常に新鮮な野菜や果物を栽培し、合成しているのだ。いわば、人工の畑で食糧を自給し、自然を模した環境の中で乗組員の心の健康を保つためのケアの役割も果たしている。

 そこには花や緑の空間が広がり、人工の水の流れもある。木陰に吹く風や四季の移り変わりさえも再現していた。大きなりんごの木には赤い実がたわわに実り、人工の鳥が囀っている。その木の前に彼がいた。

「バーニア……」
思わずそう呟く。と、彼は静かに振り向いて言った。
「お胸ちゃん! よくここがわかったね。僕のことが心配で探しに来てくれたの?」
「いや、別にそういう訳では……」
「恥ずかしがらなくてもいいんだよ。今は君と僕、二人きりだ」
そう言うと彼はサラの隣に来て、さっと腕を回した。
「バーニア……」

身長は若干サラの方が高かった。彼が彼女の方に顔を寄せたのでサラは思わずその顔を見降ろす形になった。
「……何故目を閉じている?」
サラが訊いた。
「キスする時には瞳を閉じるものだろう? 僕は雰囲気を重んじる主義なんだ」
「キ、キスだと? 貴様何を考えている! しかも受け身か?」
サラが怒鳴る。
「あれ? お胸ちゃんって乙女なんだね。それなら、僕の方から……」
と、正面から抱きつく。
「あーん。駄目だよ。おっきなお胸がつかえて君の唇にぜんぜん届かなーい!」
「密着するな! この変態男め!」
サラが怒って男を引き剥がそうとする。

「そんなに嫌わなくてもいいじゃない。僕は君の味方なんだからね」
「味方だと?」
「そうさ。今、この船が何処に向かっているか知ってる?」
「何処って……F7799NS方面じゃないのか?」
「そう。でも、その同一線上には何がある?」
「まさか……」
サラはその事実に思い当って驚愕した。
「そうさ」
男が笑う。
「君のメフィストに挨拶しておこうと思ってね」

「何故それを……」
「もともとあの研究所は僕の管轄だったんだ」
「管轄? おまえは科学者なのか?」
「いや。僕はただのトレジャーハンターさ。だけど、僕が狙うのは宝石ばかりじゃない。美しい宝に匹敵する価値のある物なら何でも集めたいんだよ」
「だが、ラボの研究成果は……」
「わかっている。僕はメフィストの親友なんだ。彼もきっと歓迎してくれると思うよ。恐らく面白い余興を用意してね」
そう言って彼はクククと笑った。その顔にさっと人工の光と影が交差する。

「ファントム……」
サラは思わずそう呟いた。宇宙を震撼させた闇の科学者のことを思い出したのだ。
(まさかこの男が……)
一瞬、そんな疑念が頭を過った。が、すぐにそれを否定する。
(いいや、ちがう。ファントムは死んだ。そう噂で訊いた)
「どうしたんだい?」
男が訊いた。
「いや、ただ思い出したんだ」
「何を?」
「半年前、宇宙から忽然と姿を消した闇の天才科学者のことを……」

「闇の科学者?」
「ああ。もしそいつがあの方のように表世界で活躍したなら……どんなにかこの宇宙は明るくなっただろう。だが、奴は海賊と戦って死んだ」
「死んだ?」
「ああ。だが、誰もその死体を見てはいない。しかし、その発明は人類の未来を変えてしまうだろうと言われている。人類にとって大いなる遺産となるだろう」
「大いなる遺産? へえ、そいつは素敵だ。ぜひ僕のコレクションに加えたいな。それは一体何なの?」
「ESPシールドだ」
サラが言った。

「ESP?」
怪訝な顔で彼が訊き返す。
「そうだ。ESP波を完全に遮断し、その能力を無効にする装置だ」
「ESPね。話には聞いたことあるけど、そんな能力を持った人間がほんとにいるのかい?」
(ESPを知らないのか? やはりこいつではないのか? ファントムは……)
瞳の奥で瞬く光。それは硝子のように美しく煌めいていた。
「ふふ。そんなことより急ごうよ。太ももちゃん達がお腹を空かせて泣き出しちゃうかもしれないよ」
「そ、そうだな」
サラも頷く。

「ついでにりんごももいで行こうよ。ほら、ここの木にたくさんなってる。今日のデザートに丁度いい。蜜がつまって美味しそうだよ。まさしく禁断の果実だね」
「禁断の……」
彼女はそう呟いて沈黙した。

 ラボでは、まさしく禁断の実験が行われていたのだ。

――ドクター メルチ、これは違法です。すぐに実験を中止して下さい
――中止? 一体何の権限があって君は私に命令するのかね? ドクター バートライト
――人間はモルモットではありません。このまま実験を続ければ被験者が死んでしまいます
―人間? 奴らは人間ではない。それらは罪を犯した。連邦から捨てられたゴミなのだ。そのゴミを使って環境を調査し、人類にとってより好ましくなるよう整備する。我々にとって重要なデータだ
――しかし……。必要以上の照射は……

(だが、ドクター メルチは聞く耳を持たなかった)

 慾に目が眩んでしまった科学者メルチは環境整備と称して、人間の改造を行っていたのだ。病原菌を植えつけたり、ヒト以外の遺伝子を組み込んだり、放射線や紫外線、電磁波や超音波などを浴びせ、より強靭な細胞、より驚異的な肉体に改造し、どんな環境においても適応できるという次世代の人類を作り上げようとしていた。そして、そのために犠牲となった大勢の人々……。

(私はそれが許せなかった……!)

――サラ、君が連邦に訴えると言うなら、喜んで協力しよう。私は連邦に伝手を持っているんだ
――本当ですか? ドクター スドー
――ええ。私もドクター メルチのやり方は強引過ぎると思っていたのです。このままではこのラボはおしまいだ。一刻も早く実験を阻止しなければもっと犠牲者の数が増えてしまう。そんなことは耐えられない。だから、全面的に協力しますよ。サラ バートライト博士

(だが、彼は裏切った……)

――サラ バートライト。貴様を殺人、及び殺人未遂容疑で逮捕する
――そんな……! 一体どういう意味ですか? 私は……
――貴様は科学者としての知識を悪用し、人道にもとる過酷な実験を繰り返した結果、大勢の人間を死に至らしめた。その罪は重い
――私は何もしていません。私は……

(罪を着せられた……)

 サラは連行され、ろくな裁判も受けられずに死刑という判決を言い渡された。そして、ピガロスの刑務所に護送されたのだ。その間、何度も無実を訴えたが無駄だった。弁護士も裁判官もみな彼女の訴えを聞いてはくれなかった。

――私は連邦に伝手を持っている

 その伝手とはそういう意味だったのだ。騙された自分が馬鹿だった。そうやって主張が通らず歴史の中で消されて行った命は一体どれほどあったろう。結局ラボに回され、被験者として使われた人々の多くはそういう者達だったのだ。だからこそ、彼女は救おうと思った。が、その自分も同じ罠に落とされ始末されようとしていた。無力だと知った。自分一人では何もできないのだと……。あの王国の悲劇のように……。歴史は正しい者を愛さない。決して諦めるつもりはなかったし、希望を失くした訳でもなかった。が、目前に迫る死を回避できる術をもたなかった。

 そして、死刑執行の日。銃を突きつけられ、もはやこれまでと覚悟を決めた。その時、バーニアが飛びこんで来て彼女を救ってくれたのだ。偶然だと彼は言った。が、果たしてそれは真実だろうか。もし、本当に偶然ならば、彼がメフィストを知る筈がない。

(何者なんだ、この男……)
「バーニア」
サラがそう呼び掛けた時には、もう彼はリビングの扉を開けて先に行ってしまった。彼女も急いであとを追う。

 「ヤッホー! 僕の愛しい小鳥ちゃん達。僕がいなくて寂しかったかい? ほうら、もぎたてのりんごを持って来てあげたよ」
と、それぞれの手に渡す。
「うっひゃ、美味そう! いただきまーす!」
ロリが早速かぶりつく。
「まあ! 丸かじりだなんて……。リサはそんな大胆な真似はできませんわ。小さく切っていただけません?」
「OK。くびれちゃん。君の可愛いお口にぴったり合うように僕が一口分ずつ噛み砕いて口うつしで食べさせてあげる」
そう言ってリサに迫る彼の襟首を掴んで止めたのはダナだった。

「貴様、まだそんなふざけたことを……」
「あれ? おしりちゃんも僕に食べさせて欲しかったの? うふ。嫉妬しちゃって、可愛い! 待っててね。次は君のお口にも運んであげるから……」
「親鳥にでもなったつもりか? この変態男が!」
などと二人がもめてる間にサラが調理機にりんごを放りこむと、きれいに切り分けられたそれが皿の上に乗って出て来た。
「ほら、リサ、これなら食べられるだろう?」
「まあ、ありがとうございます。サラさんってリサのお母様みたいですわ」

「リサの母親って何才なんだ?」
むっとしたサラが訊く。
「えーと、確か46才ですわ。年がいってから生まれた子だからって、リサはとっても可愛がられて育ちましたの」
「46か……私の母親と同じ年だな」
サラがぽつりと言った。
「まあ、それじゃサラさんも年がいってから生みましたの?」
リサの言葉に呆れながらも反論するサラ。

「だから、それは私の母親の年だ。私は二〇代だ。まだ結婚もしていないのに子どもがいてたまるか」
「だったら、すぐに僕と結婚すれば速効で子どもが作れるよ」
バーニアが囁く。
「黙れ!」
投げつけられたりんごをキャッチしてバーニアが言う。
「僕のりんごも剥いて欲しいな。できればマシンじゃなく、君の手でやさしく……」
「剥いてやろうともさ。鋭いメスで貴様を解剖してやるからな!」
さきほどから胸に触れていた彼の手を掴んでサラが言った。

「へえ。胸の姉ちゃんも言うときゃ言うねえ」
ロリが口笛を吹く。
「へへへ。そんときゃあたしも加勢するぜ」
ダナもにやにや笑いながら言う。
「解剖だなんていけませんわ! 小学校の頃、理科の実験でお魚の解剖やらされたんですけど、とっても気持ちが悪くて、それからはリサ、お魚が食べられなくなりましたの。だから、バーニアさんを解剖するなんていけませんわ。いざという時、困るかもしれませんもの」
リサが必死に訴えた。

「くびれちゃん、いいこと言うね。やっぱり僕がいると心強いんだね。大丈夫。きっと僕が君を……君達を守ってあげるよ」
バーニアは両手を広げて舞台役者のように言った。が、リサは真剣な顔で続けた。
「いいえ。リサが言いたかったのはいざという時、食料にできなくなると困るからという意味ですわ」
「え?」
「食料?」
皆が唖然として彼女を見つめた。
「ひぇ〜っ! リサって人食い族だったんか?」
ロリが怯える。

「皆さん、何をそんなに驚いていらっしゃるの? カマキリだってメスはオスを食するんですのよ。もしも食料が無くなっていざという時にはそういうことになりません?」
「で、でもね、くびれちゃん。そりゃあ僕ほどのいい男だもん。一度食べてみたいって気持ちはわかるけど、実際そんなことをしたら君は後悔するよ」
必死に反論するバーニア。
「何故ですの?」
「だって、僕は君にとって特別な存在だからさ。それに、僕がいなくなったら人類にとって大いなる損失になると思うよ」
そんな男の言葉を聞いてダナがぼそりと呟く。
「あたしは人類にとって大いなる恩恵になると思うけどな」
サラも頷く。が、それを軽く手で制してバーニアが続ける。

「それにほら、僕達にはまだ大事な使命があるのだし……」
「大事な? 何ですの?」
「種族保存と繁栄の原則。ねえ、僕達の優秀な遺伝子を後世に残さないと……」
リサの腰に腕を絡めた彼がしきりにアピールする。
「変態の因子など残すに価するものか」
サラが切り捨てるように言った。

「あーあ。そんな因子だか遠視だか知らねえけど、早く飯にしてくれよ。おれ、さっきから腹減ってさあ」
ロリが椅子をかたかた鳴らして文句を言う。
「そうだ。うっかり材料の移送装置の確認をするのを忘れていた」
サラが言った。
「何だ、ちび共と変わらねえじゃないか」
ダナが呆れる。

「すまない。バイオルームでバーニアと会ったりしたものだから、すっかり調子をはぐらかされてしまったんだ」
「えーっ? それで材料はどうしたんだよ?」
ロリが身を乗り出して訊く。
「それが……さっきのりんごしか……」
「やっぱりバーニアさんをいただくしかありませんわ」
リサが真面目そうな顔で言う。
「あはは。今はまだその時じゃないでしょう? ほら、このスイッチを押せばね」
バーニアがテーブルの下のそれを押すと調理機のパネルのランプが点灯し、機械が作動し始めた。

「何だ?」
サラがそのパネルを見つめる。
「お、すっげえ! 足んなかった材料が次々と満タンになってくぞ」
ロリが叫んだ。
「メインスイッチの電源が入っていなかったんだよ」
バーニアが説明する。
「それが何故こんな場所に付いてるんだ?」
サラが訊いた。
「意外性があった方が面白いじゃない。それに、これならテーブルに着いたまま手元スイッチになって便利だろう?」
「誰にとっての利点だ? こんな改造有り得ないだろう。普通」
サラが憤慨する。

「それでメニューは何にする? リサはやっぱり人間の丸焼きをご所望か?」
ダナが訊いた。
「あら、そんなことありませんわ。できればちゃんとしたお食事が一番いいに決まってますもの。そうね、たとえば、ミネストローネ風コフキイモとか……」
それ以上彼女の言葉を訊く者はなかった。そして、それぞれが好みのメニューを選び、食事が終わった時、電子音が響いた。目的地に近づいた合図である。
「では、そろそろコクピットへ戻ろうか」
バーニアの言葉と共に彼女達も一斉にメインブリッジに急いだ。